19:30からN○Kでやっていた、サウジアラビアの働かない若者たちみたいな番組を見ました。 そして思った。
俺日本人で良かった!!!
食べ物とか以外でこんなこと思ったのどれぐらいぶりだろう…。 ついでにわかりにくい注釈を入れさせていただきますと、「日本国民」ではなく「日本人」でよかったって感じですかね。自分でもうまく何がどう違うのか説明できないのですが…(駄目駄目じゃねえか)
番組はというと、サウジアラビアが抱えてる問題の一部の紹介みたいなもんでしょうか。 1つめは、最初の一文どおり『働かない若者』問題。 番組を見て知ったのですが、サウジアラビアは石油でめっちゃ儲けてるので税金もなく、働かなくても裕福に暮らしていけるのだそうで。 不動産業(だったか?)やってるお父さんが、月30万の小遣いをくれて、それでバギーの改造して遊び呆けてる息子(23歳)とか出てきました。
「公務員とかなら仕事も楽だし、やってもいいけど、普通の労働は疲れるし時間もとられるし、やりたくない。親もそんな無理して働かなくてもいいって言ってる。」
この国大丈夫なんだろうか、と要らん心配をしました。 他国の心配するよか自国の心配をしろ(するだけなら無意味だろ) ついでに国よりも明日の自分を心配しようね久我さん(切実です)
話がずれましたね。 とりあえずここから、オブラートに包んでいない、俺が見ながら思ったことを書きますか。
大金持ちの馬鹿息子・国家レベル版。 …本当にこんなの実在するんだ、と驚きました。 蛙の子は蛙、という言葉が浮かびました。あと子は親の背中を見て育つ、とも。 労働省っていうがあったり。あと労働技術を学ぶ学校とかも出てきたんですけど、参加させるために金払うってなんだそれ。 確かにそれぐらいしなきゃ参加しないんだろうけど、それはそれで間違ってるだろ。 ちなみに金出してんのは国です。 労働者はほとんど外国人。サウジアラビア国民に払う給料の5分の1で働くから、いい労働力なんでしょうね。 まあ、日本も中国とか色々国外から安い賃金で雇ってるんだから、そこらへんは非難することなんて出来ませんが。 でもさあ、学校でちゃんと教えた方がいいと思うよ。小学生ぐらいの頃からさ。早過ぎるとか言わずにさ。 そういう意識っていうのは、子供のうちに出来てしまうものだと思うから。例えわかりにくくとも、将来的な危機感というものを持たせるべきではないでしょうか。
学校といえば、授業でコーランの授業とかあるんですね。宗教国家(と呼んでいいんだろうか)みたいなもんだから、当然っちゃ当然ですね。 ここら辺になるともう記憶がうろいんですが(興味ないことはとことん忘れるの早いな!)、コーランには『イスラム教以外の宗教は全て誤りである』とか書いてあるだそうです。 『ジハード(聖戦)』云々は、その定義(内容)が定められていないとかいうのしか覚えてない。 こういう宗教面に関しても、久我さんは日本人で良かったと思うよ。 日本は無信仰だと言われたりするみたいですが、それでいいと思います。 その人が何を信じるかはその人次第だし、強制された信仰なんて、ありがたみもへったくれも無いです。戦時中、日本に征服された国の人たちとかが例。 私の家は浄土真宗ですが、私自身は信仰心厚くないです。 宗教、というより、アニミズムとか汎神論とか、そっち系ですね。 『神』というより、『人には知覚し難い、且つ知りえたところでそれ自体を変質させるさせることは出来ない絶対的な何か』のようなものはあるんじゃないかな、と感覚的に思いはします。 でもそれを『神』とかいう概念として捉えることは出来ないです。そういうのとは違う気がする。 まあ認識なんて人それぞれですし。それ自体を何と思うかも、その人次第でしょう。 林檎をリンゴと呼ぼうがappleと言おうが、紅玉だろうがジョナゴールドだろうが、日本で作られようがフランスで実ろうが、林檎は林檎。 呼び方が品種が産地が変わっても、林檎であることは変わりはない。 多分、そんなもんなんだと思います。
少なくとも私は、戦いを勧める神様よりも、今日のご飯になった動植物たちに感謝したい。 |
|